忘れてる自分

忘れてたわすっかり、ここ。
昔の俺も今の俺も誰なんやろね。
人格が結構変わった気がすんねんけど。
誰なんやろね、ほんと。
しんどいし寂しいし絶望的なんは変わりませんけども、まあ死ぬまで生きましょう。
生きられるまで。

なんでさっきの記事の続きしか書かれへんねん、腹立つわ。

死んでくれということか?
違うのか・・・。
せっかくええ気分で記事を久方振りに更新したったのに。
なんですかなんですかなんですか?この意味のわからないブログ形式は。

今日は映画を観る元気もないのでこうして駄文書くしか出来ないこの人間をおちょくっているのか。
そうとしか考えられない。
ひ、っじょお、に腹が立ってます。
ひ、っじょお、に、の、このひ、っじょお、にって言葉は僕の師匠である町田康という人の言葉からパクってます。
申し訳ありませんでした。

御詫びと言ってはなんですけれど、散らかったかつての僕の部屋を御覧になってくださいね。
今はこれ以上に散らかっております。
でも僕は元気です。
散らかっててもメゲナイ精神を神から授かった、たったそれだけ、たったそれだけを神から、授かった。
僕はそう信じて明日も強く生きていける、だから本当に世界なんてぶっ壊れてしまえばいいんですよ、早く。
僕は本当にそう思ってない、思ってないんですよ心から。
本当に世界なんて終わってる、ほんと終わってるよ、僕はそう信じてない、信じてないんです心から。
昨日うどんは食ってないのに今日はパスタを食ったということが一体全体あなたに信じられますか?
僕はそれだけが信じられない。
でも信じられることと言ったらやっぱり細い麺のほうが美味いって事なんですよね。
たったそれだけを信じられるなら人は強く生きていけるって信じられるはずなんですよ人は。
だから今日映画を観る元気もないのは、そういうことを信じられてる自分がいるからだろうかな、って感じ?
ジュード・ロウの顔も見るのがしんどくなったと言えば、もう終わりでしょう、人間おしまいですよ。
あのジュード・ロウですよ?
あの、顔ですよ?
あの顔見るのも、めっさだるいんですよ?
顔も見たくないんですよ、はっきり言って。
ジュード・ロウの顔でさえ、見たくないんですよ、最早。
可哀相なジュード・ロウ。
ジュード 「たくさんの俺の出演作のDVDを中古で買ってくれてどうもありがとう、センキューマイベイベー。感謝してるよ、きっと毎日僕の顔を見てくれるんだろね、君って子はっ、ははは、嬉しいよまったく、今日も、今日も見てくれんだろ?俺の顔、俺のこのかつての若い時分の美形顔を、観て、楽しんでくれんだろ?わかってるよ、存分に僕のこの美貌を味わいたまえ、はははっ、ハニー、って、あれ?観てくれないの?観てくれないの?観てくれないのなのなの?なんでなんでなんで?この俺のこの、美青年麗しきこの完全なる容姿、そ、それを観る元気も、ななな、ないだってぇ?!shit!fack!俺の、この、美しい顔が、き、君の絶望にまままま負けたぁ〜?そーんなばかな、そーんなあほな、そーんなかすな、きっ、君はどうかしてるぜハニーベイビー、ね、寝ろっ、ヴぁ、ヴぁカメ、酒を飲んだ暮れて、寝ちまえよ、僕のこの顔が何かに負けるなんて・・・'`,、 '`,、 ('∀`) '`,、'`,、ハハハ・・・・・・悪い夢でも観てるようだね僕、もういいよ、僕が先に寝る、僕の夢を観てね、マ、マイダ〜リン(イグジステンズイアン・ホルムの台詞風に)」

どうにもいいコンビだよねぇ、この二人。
俺が思うにイグジステンズ以上のジュードの演技はなさそうに思っちゃうな。
まさにハマリ役だったのではなかろうかな。
なかなかないよなぁ、ここまで好きになる映画も。
ジェニファー・ジェイソン・リーのこの色っぽさ、これがジュードの色気に優ってるからこそのあのすんげえ甘美的なシーンが撮れるわけだな、なんだろこの色気、そして可愛い、最高のコンビだ、何でこの二人が結婚しなかったんだ、まあそんなことゆうても虚無的ですけどもぉ、そうそう現実の世界では結婚せんかったけどもイグジステンズの世界では結婚したかもだしぃ?ええんちゃいますか、それで、なーんてね、思うわけですけどもぅ。
このシ-ン (。-ω-。)の美術も最高だね、ゲームの世界って感じがすごくする、ゲームの世界に行って遊べてもいいのにね?たまにはね、実際デヴィッド・クローネンバーグ監督の言いたかったことって難しいよ、今のところは現実主義にも現実逃避にもどちらにも偏らないという感じがしたかな、まぁ芸術は現実逃避じゃないんだけど、むしろ現実を見ようとすることっていうのかな、偽物じゃなく、本物を、見る、だからもしかしたら芸術的な素晴らしさのないものはすべてただの現実逃避的に映って人を堕落しかさせないと思えるのかもな、ゲームも映画も小説も素晴らしくないものが多いのは仕方ないことだとは思うけど。
言っちゃうと、素晴らしければ、その犠牲の産物として、人がバンバン死んでもいいの?なんてね。
それって現実でも?・・・・・・なんてね。
「この世界を素晴らしい作品にするために僕はあなたを殺そうと思う」なんて言われた日にゃ、どうする?
「ゲームの世界に逃避するの」現実の自分は眠ってるだけ、何がいけないの?
現実は狂ってる、同じように狂った世界へ行くだけ、それが何故いけないの?
誰がこの世界を創ってるの?神?誰か?自分?
何故何もかも新しい概念の世界を構築したらダメなの?
ここでは働かなくちゃダメだとか、何が善くて何が悪くてとか、でもそんなことわからないのに、当然だと思ってる人ばかりで退屈なの、とっても、だから新しい世界を創ってもいいのに。
毎朝目を覚ましてもすごく暗い。ああまた同じ世界に。
今日は・・・ジュード・ロウの顔を観る元気はあるだろうか?そんなことを思って起きるの。
のそのそと爬虫類か糞ころがしのように。
退屈なの、いくら世界の三分の一の女性の心を揺るがした絶世の美男の演じる映画を観ていても、内容がつまらないと、ちょっと・・・。
詰まりこの世界は相当退屈な要素から出来てるというわけだよね。

ゲテモノ料理・・・ウプッ・・・。そう・・・つまりそうゆうこと。何処かの世界では正当なものでも別の世界なら不愉快でしかない事柄かもしれないってこと。
この世界で、まあそれが正しいでしょうと思われることも、他の世界に行けば、まったく嫌悪で非難されまくりで石を投げられたんこぶだらけになって泣きながら世界を後にする事態も考えられ得る。
でもどうして?なんだか大体決まってる気がしてしまうんだろね。
そう、悪いことも善いことも、なんだか誰かから操縦されてるかのようにしてしまうんだよ、この世界も。
なんでだろう?
面白いね。
こわいね。
苦しいね。
誰なんだろう?
誰が僕を君をあなたを彼を彼らを、操縦してるんだろう?
僕は僕の意志であれをやったとは思えない。
誰かが乗り移ってるようだ、まるで、見えない誰かに。
誰かが僕を動かしている、僕じゃない誰かが。
でも本当にそれは僕じゃないのか?
そもそも、僕の知らない僕って、僕と言えるのか?
自分なのか?それって。僕が、知らないのに。
どこから生まれてきて死んだらどこへ向かうのかもわからないのに。
これが自分だ、なんて、可笑しな話だよ。
いったい誰が僕なんだ、いったい何処にいるんだ。
何処に?何処で僕を操縦してるんだ。
何故、操縦してるんだ。
わからないよ、結局何もわからない世界だ、此処は。
よく生きてるよ、みんな。
くだらない価値観で、人を観てさ、薄っぺらい見方で。
反吐が出る。
イグジステンズ・イズ・ポーズ!!!』
「あれ・・・?ああ、なんだゲームの世界で俺一人で呟いてたのか・・・」
「退屈な夢も、ま、たまにはいいかな、なぁんて、ね、だってここは素晴らしすぎるほどパーフェクトな世界だから、これ以上はないよ、これ以下の世界が在るだけ」